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医療の枠を超えた地域づくり

2023年06月01日

医療の枠を超えた地域づくり

森 德郎

大多和医院 院長

1985年⽣まれ。北⾥⼤学医学部医学科卒。
2010年から7年間横須賀の市中病院に勤務後、2017年認定⾮営利活動法⼈ジャパンハートにボランティアとして参加。ミャンマーなど途上国で医師、病院管理、海外医療統括として活動。2021年9⽉より⼤多和医院の院⻑就任。2022年9⽉、⽩⼦町振興審議会委員就任。

大多和医院は、千葉県東部の九十九里浜に面する白子町にある、100年以上続く診療所。2023年2月、社会活動で白子町と包括連携協定を締結。クリニックが自治体と包括連携協定を結ぶ事例は珍しい。2020年に大多和医院を継承した院長の森徳郎氏と、看護師の秋貞真弓氏に地域の医療の枠をこえた人との繋がりを築く活動について話を聞いた。

僻地医療から海外支援へミャンマーで向き合った子供の死

学生時代は精神科を志望しており地域医療に興味はありませんでしたが、医師になって最初に所属したのは、地域医療振興協会という、僻地の診療所や病院に医師を派遣する公益社団法人の病院でした。死にゆく人々の最後の時間を支える内科医が、自分が目指す医療とあっていると感じ総合内科医として7年間勤務しました。その間に年3か月ほどは、北は北海道、東北、南は九州、沖縄などの全国の僻地医療を経験し、若い時から地域医療に経験を積んできました。

その後、キャリアが一段落したところで、東南アジアを中心に医療支援をおこなっているNPO法人ジャパンハートに所属しました。旅行が好きだったのと医師としてのスキルが発揮できるという期待でカンボジアの活動に参加しました。
はじめは現場の医師として勤務し、病院の管理者、海外医療事業の統括、新規事業の立ち上げを経験しました。日本にいた時は主にご高齢の患者さんが多かったので、カンボジアやミャンマーで子どもを診るという機会はとても印象的でした。ご高齢の方が亡くなることも、もちろん悲しかったのですが、十分がんばって生きてこられたという、ご本人、ご家族、そして私にとっても腑に落ちる、納得できるような最期を迎える方も多くいらっしゃいました。しかし、カンボジアやミャンマーで経験した子どもの死は、頭では理解できても心が許容できないものでした。子どもの理不尽な死をゼロにはできなくても、本気で自分の時間をすべて捧げたいと思い活動していました。

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コロナ禍でクラスター対応を支援する事業の立ち上げ
もう一度向き合いたいと思った地域医療、そして社会事業へ

COVID-19のパンデミックが起きた頃に一時帰国をしてそのまま渡航ができなくなりました。日本で働いている医師や看護師たちはもちろん普段の業務と自院のCOVID-19患者への対応でだけでも大変な状況で、なかなか外部を支援できるような状況ではありませんでした。すぐさま支援が必要であると判断し、医師と看護師、ロジスティックのスタッフをパッケージ化したクラスター対応支援の事業をNPO法人ジャパンハートで立ち上げました。この事業はその後3年間で300か所ほどの臨床現場を支援しました。

この事業が落ち着いた後、もう一度自身のキャリアや人生をかけて取り組みたいことを見つめ直した時に、やはり地域医療に関わりたいという気持ちが強くなりました。しかしながら、途上国での経験から医療だけでは地域を変えていくのには限界があることも痛感していたため、医療の枠を超えて日本が抱える地域の課題解決に寄与できる社会事業も立ち上げたいと考えるようになりました。

仲間を集める拠点づくりのために開業を決意
地域医療を体現できる白子町との出会い

自分一人だけの力で社会を変えることができないことは、ジャパンハートで身をもって経験しました。ですので、社会事業を開始する時も、自分一人ではなく仲間と一緒に活動できる形を模索しました。株式会社、NPO法人など法人格もいろいろな形態を考えましたが、自分にとって医療機関を作ることが一番いい道だという結論に至り、拠点となる診療所を開業することにしました。

医療ニーズがあるが、行き届いていない地域を探していた時に白子町に出会いました。きっかけは大多和医院の事業継承のご相談からでした。白子町は首都圏からのアクセスも過疎地域に中では比較的よく、地域医療のニーズも高い、そういった色々な面でマッチする点が多く大多和医院の継承することを決意しました。100年という歴史ある医院を継承していただいたことは非常に光栄なことでした。

コロナワクチンの集団接種で深まった白子町との関係
地域活動を経て2023年2月に包括連携協定へ

白子町とのはじめての接点は、コロナワクチンの3回目接種の時期で、白子町の保健師さんからの相談がきっかけでした。ワクチン接種計画を見せて頂いたのですが、白子町には公的な医療機関がないため、必要な接種回数の半分も進んでいない状態でした。医療は水道や電気と同じようにインフラであり、人の命を救う役目を果たさなければいけません。接種が半分も進んでいないこの状態をなんとかしなければと思い、残りの半分を大多和医院で対応することにしました。人員確保など正直かなり大変でしたが、町の協力も得ながらすべてのワクチン接種を完了させることができました。

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白子町を拠点にすることが決めた後から、地域に出向いてヒアリングを継続して行っていました。この活動は主に秋貞さんが主体となって取り組んでくれました。ヒアリングを通じて、白子町に世代を超えていろいろな人が交流できる場を提供し、地域全体で子どもの面倒をみる場所を作りたいという話になりました。高齢者が昼間過ごせる場所、同時に子どもを預かる機能をつけるというアイデアが生まれました。東南アジアの農村でお父さんやお母さんが働いている間に祖父母が子どもの様子をみるイメージです。

この事業に、白子町の町長もご興味をもって下さり、町長や町の企画財務課、保健福祉課の方々と話を進める中で、まちづくりの研究をしている筑波大学のスマートウェルネスシティ政策開発研究センターが、白子町を課題の材料として社会人向けのプログラムを始めました。そのような経緯があり地域交流の場としてカフェを開いたり、子ども向けにひまわりを植える体験イベントやサマースクールをしたりという私たちの活動が広がってきています。
コロナワクチン接種、こども支援事業、まちづくりの会議などを経て、2023年2月には白子町と正式に包括連携協定を結びました。

半分看護師、半分カフェのお姉さんという異色の働き方

秋貞氏(看護師): 2022年の4月に「仕事の半分は社会事業につかって欲しい」と森さんに言われ、白子町の大多和医院で働き始めました。
まずは地域のことを知ろうと歴史の博物館に行ったとき、社会福祉協議会のボランティア活動のチラシをみて登録しました。農業の面では人不足があり、タマネギの収穫の手伝いをしていたりしました。地域の方とお話すると、東京に比べて遊ぶ施設が少なくゲームの時間が長くなる、交通の利便性が低いのでご高齢の方が自分でどこにもいけないので楽しみが欲しいという声があり、それであればと、憩いや交流の場となるカフェを開店、子どもたちが楽しめるイベントなどを企画しました。町の人は、診療や治療をするためだけではなく、カフェが楽しみできたと仰って下さいます。
カフェやこどもイベントを通じて、訪問診療の必要な家族がいるなど、病院では言わない患者さんの本音をカフェで聞けることがあります。地域に出て行くことで、医療としても提供できる価値を増やせるんじゃないかと思います。

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診療や治療だけが接点ではなく、このようなかたちで地域と信頼関係が成り立っていくことが、純粋にいいな、嬉しいな。と感じています。以前は総合病院の病棟看護師として勤務していましたが、業務に追われてゆっくり患者さんと話をする時間がなかなか取れませんでした。看護師としてだけではなく、町の皆さんと過ごせる時間が非常に楽しく、やりがいを感じます。

公的な医療インフラとして、地域に求められる医療を提供したい

白子町は高齢化率が約40%、年間の出生数が約30人ぐらいと高齢化が進んでいます1)2)。車で15分程度で隣町に行けるサイズの町ですが、高齢で自動車免許を返納している人もいて、通院困難な方へのサービスや訪問診療は足りていないです。
大多和医院は、この町における“かかりつけ医“として役目を果たしたいと考えています。白子町には訪問診療を行う医療機関がありませんでした。

私が白子町に来て2ヶ月が経つころに、ずっとかかりつけだった患者さんが、大きな病院から自宅での看取りをお願いしたいという紹介状を持ってこられた時に「訪問診療はやっていないので、他の医療機関に行ってください。」とは言えなかったんです。未経験だけど、医師と看護師、医療事務のスタッフはそろっているし、大変かも知れないが、環境はあとで整えればいいから、今目の前にいる人を診ようと決意し、訪問診療も始めました。今は70人くらいを訪問診療で診ています。

<参考文献>
1) 地域医療情報システム(日本医師会)
白子町の2020年の高齢化率(65歳以上)は40.40%。
https://jmap.jp/cities/detail/city/12424(2022年2月21日アクセス)

2) 住民基本台帳に基づく人口、人口動態及び世帯数(総務省)
白子町の2021年の出生数は31人。
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/daityo/jinkou_jinkoudoutai-setaisuu.html(2022年2月21日アクセス)

診療所をエンジンに社会事業を加速させる白子町をモデルケースに
社会課題を解決する場づくり広げたい

日本の医療の精度やレベルは高く、すでに多くの人が相当努力されているので、僕のような平凡な医師ではこれ以上レベルを上げることは難しく感じています。
英国では「社会処方」という概念があります。たとえば抑うつ傾向のある高齢者にもともと好きだったコーラスのサークルや、土いじりが好きな人には教会の畑で週1回の農作業を勧めるといった具合です。私たち関わる医療は悩み事や社会課題が集約する場だと思っています。医療機関も民生委員や社会福祉協議会のように地域のハブになって、医療だけではなくひとりひとりがその人の望む生き方を得られる社会を支えていくという視点が重要だと思っています。
ですので、私たちは、社会を良くする手段の1つとして医療を捉えています。
地域の未来をよくするためには、医療以外にも教育などさまざま取り組まなければいけないことが多くあります。これを社会事業として展開していこうと思っています。
しかし、過去のNPOの経験からも社会活動を続けるには資金、要はお金を稼ぐことも重要であることを学びました。本業の診療所をエンジンとして、社会に対して投資するNPO的な事業の両輪が成り立つ組織を目指しています。
大きな自治体と1クリニックが緊密に連携するのは難しいですが、白子町のように公的な病院がなく人口1万人規模の市町村は日本にたくさんあり、似たシチュエーションの地域で、私たちが先行者としてモデルケースとなることができれば大変嬉しいです。

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