2025年01月31日
桜十字グループの那須一欽CMO(Chief Marketing Officer:最高マーケティング責任者)は前職の経験を活かし、経営の立場から桜十字グループのさまざまな施策を主導されてきました。患者さまが家族と楽しめるイベントや「口から食べるプロジェクト」の立ち上げ、絵本『まってる。』の世界観による病棟共用部のリニューアル。"医食住"をテーマに、予防医療と生活を融合させるメディメッセ桜十字も手掛けています。今後は「ウェルビーイング・フロンティア」として社会貢献を目指したいという那須氏にお話を伺いました。
桜十字グループの仕事は、私にとって2つ目のキャリアです。新卒でソニーに入社して14年間、営業職と本社でのマーケティング戦略や商品企画を経験しました。スケール感の大きさを感じるとともに、自分の考えた施策で市場が大きく変化するという非常にエキサイティングである一方で、どこかバーチャルな感覚があったのも正直な気持ちです。
2011年に転職を決めたとき勧められたのが、桜十字グループの経営企画室です。前職とは違い、バーチャルではなく、目の前で人の喜怒哀楽や生死が毎日繰り広げられる、血の通ったリアルな現場を感じました。一方、ソニーでのプロダクトビジネスと、医療という人を介して提供される事業は正反対で、自分に合っていないのではないか、当初はとまどいもありました。しかし、現場を知れば知るほど、献身的に働く医療者や、患者さまとの間で起こる日常の感動などを、世の中に届けたいという気持ちが強くなりました。
この感動を伝えていくことこそが、自身の役割であり、使命なのではないかと感じるようになりました。医療従事者や医療サービスの魅力を、かつての商品に置き換えることで、ソニー時代の経験を活かして貢献できることに気づき、自分の為すべきことのイメージが鮮明になりました。
入職した当初の桜十字病院は、慢性期の病院で、高齢患者さまが多く入院している病院でした。そのため、高度な医療を提供するというよりは、ホスピタリティや環境づくりに注力していたため、さまざまなイベントが開催されていました。1年目に担当したのは、グループでも登竜門とされる、敬老のイベントです。「敬老の会」というタイトルが、なんだか楽しいイメージがないと思い「敬老祭」に改め、新しいコンセプトを打ち出そうと奮闘しました。
しかし最初は、正直なところ皆を置いてきぼりにして自分の思うことだけ主張していたため、皆に協力してもらえる状況を作れていませんでした。これはまずいと感じ、翌日からスーツを脱ぎジャージに着替えて一人で院内の装飾を始めました。当日だけではなく、当日まで患者さまがワクワクできる演出をしたかったのです。すると、徐々にみんながサポートしてくれるようになり、機運が変わっていきました。私が1人でジャージで準備している姿をみて、会長が皆さんに一声応援をお願いしてくれたようです。
このイベントで印象的だったのは、熊本の風物詩である馬追いです。会長が患者さまに見せたいと、本物の馬を病院に連れてきました。実際に意識障がいの方を会場までお連れすると、寝たまま手足を動かし、涙をボロボロ流されるのです。入院患者さまにとって、病院は生活の場であると痛感し、死生観まで考えるきっかけとなった出来事でした。
また、多くのイベントを行ってきましたが、入院患者さまにとって一番嬉しいのはご家族様のお見舞いであって、それには敵わないということを知りました。ですので、少しでも多くのご家族に病院に足を運んでいただくことを目標にイベント設計を行っています。
桜十字敬老祭での馬追い
桜十字グループの素晴らしいところは、職員全員が、コンセプトや考え方を大切にする姿勢が、カルチャーとして深く浸透し根付いていることです。印象深かった出来事として、入職した際の「なりきり研修」があります。病院は病院全体のチームワークで成り立っている現場であるという考え方から実施され、厨房や介護、清掃など多職種の仕事を経験します。清掃部隊の研修の際、清掃のリーダーが何かをスタッフに説明する際、必ず「なぜならば」の部分、背景・目的を強く伝えていたのです。直接医療を提供する立場ではないスタッフも「何のために」という考えを持ち行動しており、創業した会長の、考え方を大切にする姿勢をスタッフがしっかり継承している、素晴らしい組織であることを非常に感じました。
介護職であるケアワーカーなりきり研修時の、オムツ交換のにおいは今でも鮮明に記憶に残っています。日々業務を担ってくれている仲間がいるから、病院は「一枚岩」の組織として成り立っている。本当に感謝の気持ちが湧き、みんなを絶対に幸せにする。と誓った記憶があります。
このように桜十字では、何のためにを常に考え行動するので、何かイベントを行った際は、翌日までに必ず反省会をし、すべて記録に残すこともカルチャーとなっています。これは"患者さま満足宣言"の中にある「私がやらねば誰がやるの精神で何事にも取り組み、進化・改善し続けます」というクレドからです。現状維持はただの退化であると考え、しっかり記録を残すことで改善を続けていくことを目的にしています。このような良いカルチャーをスタッフが継承し、体現していることで桜十字は絶えず進化していると思います。
桜十字病院の経営的ターニングポイントは、2014年の診療報酬改定における地域包括ケアシステムの構築にあったと思います。厚労省が推進する在宅復帰に向けて経営方針を180度転換しました。当時、桜十字病院は民間では県下最大の641床あり、KPI(Key Performanceance Indicator)として病床稼働率を重視していましたが、貯める経営から流れる経営に大きく舵を切ったのです。
経営の戦略として、1つは地域医療連携の強化を行いました。いわゆる在宅復帰率の確保のために、急性期もポストアキュートをしっかりと構築する必要があります。熊本では、済生会熊本病院が全国的に有名ですが、そのような近隣病院とのアライアンスを強化していきました。地域連携会議などで、医療の有機的な連携を具体的に協議し、協力体制を築きました。
そしてもう一つの打ち手が、医療の質を上げるための「口から食べるプロジェクト」です。
在宅復帰しても「食べる、歩く、出す(排泄)」ができないと、患者さまも介助者も大変です。そこで患者さまが動きたくなる、排泄したくなることを誘発する「食べる」を徹底的に行おうと始めたのが、「口から食べるプロジェクト」です。
病院のスタッフは、患者さまの退院が一番嬉しいと言います。ただ退院するのではなく、患者さまが本質的に良くなり、退院後の在宅生活を自分の力でできる状態を作る本プロジェクトはスタッフにもやりがいになると考えました。プロジェクトの立ち上げから、様々な苦労がありましたが、今では桜十字で特徴的な医療サービスの一つとなりました。
桜十字リクルートサイト「口から食べるプロジェクト」より
「口から食べるプロジェクト」を開始した1年目の反省点は、チェックシートを作成し、できないことを探す管理的なアプローチをしてしまったことです。当然、現場からは反発の声が上がりました。そこで、桜十字が大事にしている、「どうすればできるか」というスタンスに考え方を変えリバイバルを図りました。
根拠のない禁食指示が、患者さまの食べる権利を奪い、寝たきりになってしまう状態を作っている可能性があったので、それを無くしたいと考えました。
桜十字には禁食の指示が出ている患者さまが転院されてこられますが、4人に1人は入院当日に3食とも経口に移行し、4人に3人は入院中に3食経口摂取に移行しています。嚥下内視鏡検査(VE)や嚥下造影検査(VF)といったレントゲンを使った飲み込みテストは、日常の生活とは異なる検査室で行われます。そこで少しでもリスクがあれば諦めるのではなく、「どうすればできるか」のスタンスで、食形態や環境・姿勢を変えると、経口で食べられる患者さまもいらっしゃるのです。
医療者側が諦めることをせず、正しい知識と技術でアプローチをすれば、禁食指示を受けている患者さまの4人に3人をハッピーにできることが、長年プロジェクトを実施して得た1つの成果です。
当時はまだ摂食嚥下の点数は低く、リスクもある一方で、患者さまが良くなると退院されて病院の経営は厳しくなる構造でした。
医療者は、質の高い医療をすれば、自然に患者さまが増えると考えがちです。しかし、医療の質を上げて世の中に発信し、求める人に出会うというところまでを設計しないと、病院経営を維持することは難しくなります。「口から食べるプロジェクト」を積極的に発信したところ、徐々に「クチタベ入院」が地域の病院で共通言語となり、患者さまをご紹介いただく流れができました。地域連携推進会議で各病院やクリニックにしっかり発信したこと、桜十字病院に来ていただき、実際にNST(栄養サポートチーム:Nutrition Support Team)回診を見てもらったこと、この2つによる効果が大きかったと感じています。今では診療情報提供書にまで「クチタベ入院」と記載されるほどです。
またNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』にも出演された摂食・嚥下がご専門で「NPO法人 口から食べる幸せを守る会」の理事長である小山珠美先生が、文藝春秋の記事で桜十字病院を"希望の光"だと取り上げてくださり、全国から見学や入院の問い合わせが来るようになりました。今では遠く離れた仙台など、全国から入院のご希望があります。
WEBなどのマーケティング戦略もヒットし、海外からの見学も来られるほどになりました。「口から食べるプロジェクト」という分かりやすい名称とSEO対策や中身のある記事づくりによって、検索順位が上がるようになり、今もWebコンテンツは資産になっています。
外への発信と同様に重要なのが、内への発信を通じたインナーブランディングです。まずは参画意識や興味を持ってもらうため、クチタベTVとして、プロジェクトの取り組みを社員食堂や職員通路で放送しました。するとだんだん病院全体のムードが盛り上がってきたので、各部署の取り組みをたたえるクチタベアワードを開催しました。お食事部と呼んでいる栄養管理部では、長期入院の患者さまのために「日本を旅する故郷の味めぐり」を企画してくれました。1年かけて49都道府県を一周するメニューを前に、患者さまは旅行した思い出を話したり、知らない土地のイメージを楽しんだりしてくれ、とても素晴らしい企画だと感じています。病院全体が活気づき、各部署で様々な取り組みを実施できたプロジェクトになりました。
2019年に桜十字病院の1階ラウンジのリニューアルで、プロジェクトリーダーを担当しました。プロデューサーは、くまモンの生みの親であり、放送作家・脚本家として活躍されている小山薫堂さんです。
薫堂さんに我々の考え方や希望をお伝えしたあと、提示いただいた企画書の1枚目に「奇しくも、ひとは、身体をわるくしたときに初めて気づくことがあります。健康のことはもちろん、家族や友人の存在、一日の時間の長さ、子供のころ叶えたかった夢や、これからの未来のこと。病院は、大切なことに気づける場所でもあるのです。」と書かれているのを見て、私たちは、はっとさせられました。
私たちは、患者さまやご家族さまにとって人生の気づきとなる尊い場所で働いてたのです。さらに薫堂さんは、人はいつもなにかを待って生きている。その「まってる」時間にこそ大切なものがあるのですと話をされ、人生の尊いシーンを描いたフランスの絵本『まってる。』(デヴィット・カリ著、セルジュ・ブロック絵)の世界観を桜十字病院でカタチにしませんか、とご提案いただきました。
このコンセプトをもとに、創ったのが「まってるラウンジ」です。
オリジナルのカフェと、レタールーム、ポスト、ライブラリ、そして患者さまやご家族さまも利用できるシェアルームが設置されています。レタールームでお孫さんが祖父母にラブレターのような手紙を書いたり、入院中に伝えたくても伝えられなかったことを手紙にしたりと、人と人の心が通い合う場所、大切なことに気づける場所としての、「住環境」の場になりました。
桜十字という名前の由来は、「日本の文化が香る花の下で人々が微笑みながら集う、そんな病院でありたい。」という想いから命名されたのですが、「まってるラウンジ」はまさに、さくら館の1階に設置され、人びとが行きかい集う場となりました。そして、このプロジェクトが、「生きるを満たす。」という桜十字の思想に繋がる源の一部となっています。
メディメッセ桜十字は「医食住」をテーマとして、健康診断や人間ドックを受けられる施設です。
全国にない予防医療の施設を作りたいという思いで、2022年に健診センターを移転して名称変更しました。非日常のイメージがある予防医療を、いかに生活と融合させるか、生活のルーチンに入れるかを考えています。メディメッセ桜十字は地域施策やコンセプトが功をなし、受診者が2万6000人から翌年、5万5000人に倍増する好調なスタートを切りました。企業健診で健診を受けるのは当たり前ですが、BtoCで地域住民にどう受診を促すかがチャレンジポイントでした。これまで6:4だった受診者の男女比が、女性の受診者が増え5:5となりました。
病院らしくない公園のような空間にしたことで、医療と生活を近づけることができたと思います。
メディメッセのコンセプトである「医食住」は、WHOの健康の定義である「身体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態」を意識しています。以前退院患者さまに実施したアンケートで、「自分の役割」があると答えた方は、ないという方より日常生活動作(ADL)が高い結果がありました。健康には、社会的な要素が影響します。そのため、メディメッセには、地域の方が社会とつながる場にするためレンタルスペースを作り、コミュニティの場として機能しています。
少子高齢化が進む世の中で大事なのは、体の健康だけでなく、心の健康、そして何よりも社会的な満足だと考えています。
桜十字グループは、2020年から「生きるを満たす」をスローガンに活動してきました。そして2025年からは、人生100年時代の生きるを満たすにコミットするため、「ウェルビーイング・フロンティア」をビジョンとして掲げる方針です。
ウェルビーイングは身体的・精神的・社会的に良好かつ幸せな状態にあることを意味します。このすべてが満たされた状態を、0歳から100歳まで、皆さまの日々の生活、尊い人生、そして、かけがえのない生命に対してコミットしていきたいと考えています。
そして、医療をしあわせというものさしで再定義し、医療の枠を超え、QOL(生活の質)豊かな日本を目指すとともに、厚労省が保健医療ビジョンで掲げた「2035年、日本は健康先進国へ。」の世界を実現するため、私たち桜十字グループは、次の10年を「ウェルビーイング・フロンティア」として、その最前線に立ち、未来を切り拓いていきます。
桜十字グループ
桜十字病院、桜十字福岡病院をはじめとした病院経営のみならず、高齢者住宅事業、介護事業、予防医療事業など、幅広いヘルスケア事業を展開。 2025年には創業20周年を迎えた。
所在地
熊本市南区御幸木部1-1-1
URL
https://www.sakurajyuji.jp/こんな記事も読まれています