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名戸ヶ谷スタイルのブランディングの舞台裏 「アメリカ×日本」の医療の未来を切り開く

2023年12月21日

名戸ヶ谷スタイルのブランディングの舞台裏 「アメリカ×日本」の医療の未来を切り開く

名戸ヶ谷病院脳神経外科は、1983年から千葉県柏市で脳神経外科診療を行ってきた歴史ある病院です。2021年には新体制を迎え、若干33歳という若さで新たな脳神経外科部長および脳卒中センター長に井上靖章氏が就任しました。名戸ヶ谷病院脳神経外科は「全員が責任者」というプロフェッショナルな集団による医療を追求しています。その改革と取り組みについて、井上氏にインタビューしました。

脳卒中センターの創設:決断と狙い

当時、名戸ヶ谷病院が脳卒中に対する専門的なケアを提供していることは、地域住民にはあまり知られていない状況でした。地域社会への貢献を考える中で、発症した脳卒中患者のすべてを名戸ヶ谷病院が受け入れるという決意を固め、脳卒中センターの設立に踏み切りました。

脳卒中センターは同時に、ブランディングの一環としての役割も担っていました。地域住民への訴求力を高めるため、名戸ヶ谷の存在を知らせるための重要な役目を果たしました。広報や営業活動、一般的なマーケティング手法については、医学部のカリキュラムには含まれていない領域でしたが、この必要性を認識し、仲間たちと共に献身的な学習に励みました。広告の分野は困難を伴いましたが、私たちはスタッフ一丸となって試行錯誤を重ね、同時に継続的な営業活動も推進してきました。自費出版で自身の成長物語を伝える本を発信したり、ウェブサイトの改良を行ったりと、段階的に多くの成功体験を積み上げることができました。

1年という期間の努力の結果、劇的な変化を実感できるようになりました。大手メディアからの取材依頼の連絡も増加し、全国や地域の評価において「名戸ヶ谷の脳神経外科」というフレーズが多く見られるようになりました。この影響を受けて、当院を受診する患者さんや近隣の医療施設からの紹介患者も増加し、私たちは取り組んできた成果に対する実感を強く抱くようになりました。医療技術の向上と同時に、それをどのように伝え、提供するかという側面の重要性を痛感した経験でもありますし、今も尚継続して、マーケティングを行っています。

医師の働き方改革を達成する2つの取り組み

海外での医療現場経験を通じて、私は憧れていた海外医療の長所と日本の医療の長所を照らし合わせる機会を得ることができました。アメリカの医療には課題も見えましたが、同時に日本の医療の価値の再認識にも繋がりました。

帰国後、アメリカの良い点を抽出し、それを日本の法律や文化に適用することを積極的に試みました。その中で、諦めることもありましたが、ほとんどのアイデアを実現することができたと思います。これらの取り組みが大きな成果につながり、良い改革を推進したと自負しています。その中でも特に目覚ましい成果を挙げたのは「働き方改革」と「リクルート」の2つだと思います。

私たちのチームでは、スタッフが常に新鮮な気持ちで勤務し、高いモチベーションを持って業務に取り組めるようにしています。これを実現するため、基本的な原則を徹底し、日常の当たり前の行動に注意を払いました。

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まず、タスクシフトの徹底を図りました。
医師が行わなければならない業務を医師が、看護師が行うべき業務を看護師が、そして他の専門職に適切に分散させることで、効率的な業務運営を目指しました。また、有資格者が担当すべきでない業務は事務員の方々にサポートしていただくことで、脳神経外科の成長を支える重要なポジションの雇用を地域に創出することもできました。これにより、地域貢献を志す、優れた若手事務員を迎え入れることが可能となりました。
この取り組みにより生産性が向上し、結果、人件費を抑制することができました。さらに、医師の給与を引き上げつつ、無資格職にも適切な給与を支払い、新しい投資に資金を振り向けることで、チームを拡大し、新しいメンバーを採用することが可能となりました。このような徹底したタスクシフトの成果により、同じ数の医師を維持しながら部門を成長させることができるようになりました。

さらに、ここまでタスクシフトすると、医師は「医師としての業務」でのみ評価される環境になります。手術技術の向上、適切な治療、患者との良好なコミュニケーション、コメディカルスタッフとの協力、リーダーシップなど、本来の医師の役割に集中できるようになります。これは患者満足度の向上と医師の生産性向上に大きく寄与することになり、余計な労力が減少し、時間外労働の大幅削減にも繋がりました。

次に、シフト制度の導入です。
シフト制度を効果的に運用するためには2つの重要なポイントがあります。

①徹底したチームワーク

私たちのセンターでは、主治医が患者の退院日に不在という事態はありません。チーム制度は責任の分散ではなく、チーム内の全員が共同で責任を負うことを意味しています。それぞれの医師が、自身が関与していない患者にも真摯に向き合い、主治医として患者と対話する意識改革を行いました。

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②主治医制度の見直し

個々の医師だけでなく、チーム全体で患者を診るアプローチを徹底し、負担を分散させました。主治医制度の廃止により、どの医師に相談しても患者の状態を把握し、適切な対話を行うことができるようになりました。深夜であっても、患者が医師に質問を投げかけることがあり、その際には常に丁寧な説明を提供できるようになったため、患者満足度が向上しました。

現在では、有給休暇取得の奨励とともにシフトを調整することで、家族旅行や新婚旅行に参加することも可能な状態になっています。お互いに協力し合い、スタッフ同士でシフトを調整することで、効率的な働き方を実現しています。このような働き方は、脳神経外科のトレーニングセンターでは珍しいと思います。私たちはアメリカで経験したアプローチを取り入れ、医師のパフォーマンス向上を図るために、スタッフの休息も重要視しました。その結果、生産性が向上し、時間外労働が著しく減少したので、すべてにおいて良い成果をあげた取り組みとなりました。

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次に、人材のリクルートについてお話します。
とにかく頭数を集めたい日本の医局や病院で多く見られる医師採用と比較すると、アメリカで所属していた施設では優れた人材を積極的に選び抜く姿勢が印象的でした。私たちも優秀な専攻医が求める教育内容を提供し、ハイモチベーションな人材を集め、その中から選抜して採用するようにしています。これにより、個々のメンバーが多様な視点を持ち、自然な形で活躍できる環境を整えることができました。特に優れた人材は、高い生産性を持ちつつ、積極的に業務に取り組むことで、私たちの成果を実現しています。

このチームづくりの鍵となるのは、人材採用のスタンスです。私の採用基準は「私が持っていない能力やスキルを持つ人材を積極的に採用する」というものです。この考えはホームページにも記載しています。もちろん、人材を集める際には、名戸ヶ谷の知名度や働きやすさなどの要因も重要ですが、これらをシナジー的に結びつけることで、リクルートを進めることができたと思います。

こうしたアメリカでの経験を持ち帰り、医師の働き方改革を推進してきました。日本の医師の働き方に関する固定観念を払拭し、効果的な働き方を取り入れることで、スタッフの満足度と生産性の向上を実現しました。この結果、限られた人員でも質の高い医療を提供することが可能となっています。

持続的な成長を遂げるチームの形成

医療の品質や施設の体制が確固たるものであっても、ガバナンスと評価の重要性は決して見過ごせません。大学病院では着実な研究成果を発信し続け、その運営において効果的な統治が行われていると評価できると思います。それとは対照的に、地域の医療機関が軽忽になると、局地的な視野に閉じこもる危険性を抱えていると思います。将来を見越し5~10年先、最終的には私が引退するまでチームが持続的に発展することが重要です。

このため、当院の脳神経外科チームでは、自己を徹底的に精査し、外部からの評価を受け入れるメカニズムをチームに組み込む努力を行っています。一番分かりやすいアプローチは、行う治療の成績を透明化し、学術的な発信である論文を通じて情報を提供すること、つまり臨床研究の展開です。

チームの形成という枠組みの中で、私たちの医療アプローチを検証する方法を組み込むために、私はそれに必要な方法論を学ぶ必要があり、母校である京都大学の先輩であり臨床研究の第一人者である教授が兵庫医科大学の大学院にいることを知り、そこへ足を運び、現在大学院生として学んでいます。

社会に貢献するという喜びの先にある、地域医療への貢献

私の場合、医療の世界に真摯に足を踏み入れ、その意味を深く理解し始めたのは、医師としてのキャリアをスタートさせてからでした。

20代から30代までは、目先のお金を稼ぐだけでも満足でき、そこまで頑張らなくても良いと思っていました。しかし、私はどちらかと言えば飽きっぽい性格でもあるため、ただ金銭を稼ぎ、軽い気持ちで楽しむだけの生活を続けている40代、50代、そして60代に近づくと飽きが来ることを自分自身で強く自覚しました。

社会に貢献している、社会と繋がっていることを感じられることが、自分の人生において最後には絶対的に大切になると、初期研修医の時から考えていました。

医師としての仕事は、社会に貢献し社会と連動できるやりがいあるものです。一生懸命に、目の前の患者さんに全力を尽くす、その姿勢が高く評価していただけるのですから。

恐らく、私は、どの職に就いても、全力投球・一生懸命というのは変わらなかったと思います。しかしながら、特に今の地域医療と社会貢献に対する情熱は、単に「患者さんを救いたい」という願望だけでなく、「患者さんのために尽力する仕事への情熱」に加えて、社会全体に対する貢献の意味を深く感じているからこそ、大きな充実感を抱くことができているのだと思います。

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名戸ヶ谷病院

1983年に38床の救急病院として柏市に開院。全人的医療を目指し、地域医療機関や施設との機能分担や連携を図り、救急病院としての機能を果たす。 「あらゆる患者さんの受け入れを拒否しない」という方針を貫き通し、様々な改革を行っており、柏市の地域医療を支えている。

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